お金は無くとも貧しくない、むしろ豊かなセミリタイア生活を送る試みとして「買わない」暮らしを実践中。
「買えない」と「買わない」は物が手に入らないという結果は同じでも思考回路は全く別物、その辺りを今回の記事では解説します。
セミリタイアを成功させるためには○○円必要という情報に怪しさを感じる人はぜひ読んで下さい。

高額な蓄えがあっても減り続ける状況はストレスになるし、投資を否定する訳ではありませんが、自分でコントロール出来ないものに暮らしを委ねることもストレスになると思っています
貧しさを感じる「買えない」暮らし
「買えない」暮らしとは、欲しいけどお金が無く買うことを我慢しなければならない状況です。
つまりそこには我慢や未練が伴っており、ともすれば惨めな気持ちを抱いてしまうことも。
これは物欲に支配されている状態と言い換えることができます。
なぜ「買えない」暮らしが不幸なのか
ある著名な方曰く「私たちは子供の頃から優秀な消費者を目指すように教育されている」とのことです。
確かに自分の世代の多くは学歴社会を勝ち抜き、一流企業に就職し、出世競争を勝ち抜き、地位や名誉そして高給を得て、思うがままに消費できる生活こそが「幸せ」になる王道と信じてきたように思います。
なので我慢を強いられる暮らしは「不幸」そのものと感じてしまうことに無理はありません。
でもよく考えると、一流のサラリーマンになり、一流の消費者になることで資本主義や資本家を支えることに貢献はできても、自分自身が幸福になるとは限らないのです。

経済的に成功した人がみんな幸せとは限らないもんね
さらに厄介なことは競争に勝ち続けなければ、自分も消費される対象になることです。
競争によって生じるストレスや、勝ったとて労働者という枠組みから逃れられないという社会構造は現在の「生きづらさ」に関連しているようにも感じられます。

定年が近づき意図せず自分が消費される対象になる前に、新たな暮らしの価値を探そうと思ったことがセミリタイアの原動力になったことは確かです
豊かな暮らしの秘訣は「買わない」暮らし
一方、「買わない」暮らしとは、「買えるけど買わない」もっというと「要らない」という心情です。
過程はどうあれ、自分で買わないということを決めているので、執着や未練、ましてや惨めさはありません。
以前の記事でも断捨離のことは軽く触れていると思いますが、シンプルな暮らしを意識すると「買えない」ストレスよりも余計なものが増えてしまうことにストレスを感じるようになってくるから不思議です。

「買わない」というよりは、買う前に本当に必要かをじっくり検討したり、あるものを大切に使い続けるという感じかな
過去、物欲にまみれていた私ですが、「買わない」暮らしを意識しだした頃から、会社での肩書きや他者からの評判を気にせず、自分の気持ちに素直に従えるようになった気がします。

物だけじゃなく、自分も大切にするようになったってことね

ちなみに消費が悪ということでありません、誤解なきようお願いします
必要なものはもっとシンプルな暮らし
セミリタイア生活を始めてから6ヶ月が経過しましたが、生活や消費のサイズを小さくしていくことで得られる感覚が心地良いことと、足りない分を補う最低限の就労で生活が可能ではないかと模索する日々がより楽しくなっています。

ちなみに私は巷で言うところの「貧乏セミリタイア」にカテゴライズされるのかも知れませんが、日々の暮らしは勤務時代よりも豊かになったと実感しています。

たまには豪快に散財するのもストレス解消になると思うんだけど、ダメかな…
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